
1985年、多くの映画ファンに愛された名画座「ライフ」が閉館しました。映画評論家・荻昌弘(故人)が新潟日報に寄せた「新潟市民の損失は、はかり知れない」という一文。それに応えて「市民が運営する映画館」建設を提唱したのが齋藤正行(現シネ・ウインド代表)です。 同年5月「新潟・市民映画館建設準備会」を発足。市民の手で運営される独自の映画館を目指し、一口1万円の出資を広く呼びかけます。そして、1985年12月7日「新潟・市民映画館シネ・ウインド」は開館しました。

「シネ・ウインド」のウインドとは映画の『窓口』(WINDOW)という意味と、新潟に新しい『風』(WIND)を起こそうという思いが込められています。新潟の地にしっかり根をはり、それでいて外から来る風(映画・演劇・音楽などあらゆる文化)に対して、常に開かれた空間でありたいと考えています。

85年当時TBS系列で放送されていた「月曜ロードショー」の解説でお馴染みだった
荻氏は
新潟日報朝刊紙上にて新作映画紹介のコーナーを担当しておられた。
そこでの「ライフ」閉館に対する一文が斎藤代表に「映画館づくり」を決意させた。
残念ながら氏は1988年7月2日に亡くなられた。
この3月1日、新潟古町の名作映画館「ライフ」が幕をおろした。たいへんなショックだったから、私もこの欄に追悼の辞を書いた。当然、私以上の大きな衝撃は心ある新潟市民にあった。「映画の醍醐味」だけを贈る、これだけシッカリした方針の映画館を失うとは、直接の損害だけではない。新潟の精神的威信にかかわる出来事であった。県都にこれだけの映画館を維持しないで、文化など口にできるのか。市民の反応は早く、たちまち結成された「新潟・市民映画館建設準備会」が「映画館を市民の手で建設、運営する」視点の運動であることがすばらしい。既成プロは信用できないのではなく、映画自体が既に、市民自身、自らの手で引き寄せて見る媒体へ変わってきたからなのだ。市民が何で映画館を建てねばならぬかを問う人もあろう。見たいならビデオがある、と。それは問題がちがう。肝心なのは、人が自分の行動を自ら決して立つ、そのことである。
シネ・ウインドの大きな特徴は、その運営を会員が担っていることです。「ひとつの映画を観て、それぞれに違う感想を認め合える場所」を目指すウインドには、個性豊かな人たちが集います。あなたも得意なことや、出来ることからウインドの運営に参加してみませんか?
各部とも、常にボランティアスタッフ募集中です。 見学大歓迎!(活動日等ご案内しますので、お問い合わせください) 新潟・市民映画館鑑賞会ではこれら各部の活動のほか、月間ミーティング(毎月第2火曜夜)、会員総会(毎年9月 第2火曜)を行っています。ぜひご参加ください。
シネ・ウインドは、正式には二つの組織から構成されています。シネ・ウインドで行われる活動の運営にあたる会員組織である『新潟・市民映画館鑑賞会』と、劇場の経営を行っている『有限会社新潟市民映画館』である。要するに『シネ・ウインド』というのは劇場名であると同時に、二つの組織体の総称でもあるわけです。
番組の企画、資料の整理、雑誌の編集などシネ・ウインドの運営母体となるのが『鑑賞会』であり、その会員で構成されるの市民スタッフが実際に運営活動をしているのです。そして、映画館の経営自体は『有限会社新潟市民映画館』の社員である『専従』があたります。会員は運営に携わる権利はあっても経営責任を負うものではありません。会員になって一番の特典というのが映画館の運営に参加できるということ。 一度は見てみたい映写室、一度はやってみたい自分の企画の映画の上映。もちろん、会員が運営に参加するのも、しないのも自由です。
スタッフとして全身全霊運営にかかわるのも結構、映画を観るだけでも結構。誰も何も強制いたしません。特典は同じでも、会員の数だけ利用の仕方が異なってもいいわけです。しかし、観たい映画を上映してくれる映画館がないのなら自分達の手で創ろう─をモットーに活動が始まったシネ・ウインドですから、やはりこのシネ・ウインドを『自分の映画館』と思って愛着を持って接していただけるとうれしいです。そして、この市民参加による新潟独自の映画館を永く継続するためにもより多勢の皆様に入会をお勧めします。
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