
![]() | クジラ情報紙・9号 1997年 5月 6日発行 発行所:日本海セトロジー研究グループ 〒920 金沢市東御影町288 いしかわ動物園内 TEL 0762-52-5234 FAX 0762-51-4240.発行人:児玉公道 編集所:セトケンニューズレター編集室 〒920 金沢市観音町3丁目23 TEL 0762-51-0285 FAX 0762-52-0034.編集人:国本昭二 |



パックアイスの中を泳ぐ |
山田繁子 |
鯨の写真をここにご紹介することを始めてから既に丸二年が過ぎた。主人が定年退職した年の春、能登にメソプロドンが出現したことは主人に大いに力を与えてくれた。そして鯨に逢うために世界中を走り回る旅は1989年のバハに始まり1994年のハワイで終わった。一つの旅が済めば休む間もなく次の旅のプランを立てて準備に入る数年間であったが後期は主人の体調が芳しくなく最後のハワイは全コース車椅子の旅となった。そのため機敏な動作を要する鯨の写真取りは残念ながら困難になって行った様である。という次第で行った先々での作品を一枚ずつお目にかけるのがやっとであった。そしていよいよ今回で終わらせて頂きたいと思い、主人と家族全員が最も気に入っているものをお目にかけて締めくくりたいと思う。40年前の南氷洋の三月の海、勢いよく潮を吹き上げつつ美しいパックアイスをかき分けて泳いで行くシロナガスクジラの後ろ姿である。これを見て頂くことは主人にとってもきっと嬉しいことであると確信する。 長い間のご愛読ありがとうございました。楽しんで書かせて頂きました。セト研の今後のご発展と皆様のご活躍をお祈りしてペンを置きます。 |

ナガスクジラ門前海岸に漂着 骨格収集奮闘記 |
いしかわ動物園 |
| 佐野 修 |

昨年12月21日に石川県の門前町黒島に体長15メートルのナガスクジラが漂着した。ナガスクジラといえば南氷洋のイメージが強いが、北半球にも広く分布している。日本沿岸からも8件の漂着記録がある。うち5件が日本海からである。しかし、きちんとした生物学的記録が残っている例は少ない。全身骨格標本となると大阪市立自然史博物館に一体あるに過ぎない。 漂着の報を聞き、たまたま金沢に帰省していた国立科学博物館の山田格さんが国本昭二さんと共に現地にとんだ。町役場に対し、日本で二番目、日本海では初めての全身骨格標本を作製すべく、遺体をいったん近くの砂浜に埋めるよう要望した。この時、やはり現場に駆けつけた黒島育ちで今は金沢市の隣の内灘町に住む角田和嘉さんが二人をサポートしてくれた。以後も強力な仲間として活躍願うことになった。 ここまでの私は高見見物で、スムースに運ぶ事態に何の不安もなく、県議会で設置が採択されたばかりの石川県自然史博物館(仮称)に日本海唯一となるすばらしい展示品を納めることができるとほくそえんでいた。しかし、その翌日、遺体は波に流され、海中に消えてしまったのである。そして、私の門前町通いが始まった。少しづつ打ち上がる骨の回収である。以下、経過を報告する。 |

骨格回収活動始動 12月26日 |

骨を求めてまちを行く 1月28日 |

2月15日 午後3時、これまでに集めた骨を運んでくる角田さん、国本さん達の帰りを内灘町で待った。上顎骨を除いてこれまでに打ち上がった骨に肉はない。ヨコエビなどが群がり食べるのであろう。しかし、骨の中には油分や有機物がしみこんでおり、早く砂に埋め、土中のバクテリアに分解させないと後生に残せる標本とはならない。埋める場所や運ぶトラックほか重機を提供して下さる方を探したが、なかなか見つからない。ここでも角田さんが活躍。前夜、近所の友人に相談した所、造園業を営む丸銭肇さんがクレーン付きのトラックで運び、川島法夫さんが埋め場所を提供下さることになった。また、善は急げと翌日の決行となった。 埋め場所の内灘砂丘地では、丸銭造園土木の若いスタッフ二人と川島さんも加わり、クレーンとユンボーを駆使し、作業は能率良く進められた。一方で骨を傷付けないよう、太い布ベルトで上げ下ろしするなど、丸銭さんの造園技師らしい気配り配慮に感心した。薄い上顎骨も手で丁重に埋めて下さった。私の出る幕はなく、逆にクレーンの前をうろつき、危ない、邪魔だと叱られるしまつ。いかつい丸銭さんと川島さんではあるが、突然現れた天使以外何物でもなかった。この日、肋骨二本も南さんから託されていた。これで全身の4割くらいは集まったであろうか。 |

力をかして下さい 海辺の生物を扱う私は、重油の早期除去を訴えている。しかし、このナガスクジラの回収も急ぐ。油などの有機物を含む新鮮なクジラの骨は種々の底性動物が群がり食べると考えられている。早く回収する必要がある。黒島の皆さん、どうか力をかして下さい。海辺で骨を見つけたら南さんに届けて下さい。全身の骨格を揃え、将来、石川県がつくる自然史博物館に展示したいと考えています。私たちの身近に大きなナガスクジラが生活している。石川県ではこんなことすらあまり知られていないのです。 |

鯨類捕獲調査とは何か(下) |
(財)日本鯨類研究所鯨類生物研究室 |
| 石川 創 |

どんな成果をあげているのか? 捕獲調査で得られた資料や研究結果はどうなっているのか?という質問を聞く事がある。条約に基づく科学調査の結果は、翌年のIWC科学委員会において報告が義務づけられている。毎年の捕獲調査の結果と予備的な解析はクルーズレポートとして科学委員会に提出される。また調査のデータや標本をもとに書かれた論文はこれまで100本近くにのぼり、その多くは科学委員会に提出されている。その中でも特に南極海における性や年齢による棲み分けの研究やミトコンドリアDNAの分析による系統群の研究、ドワーフミンククジラの遺伝学的な研究などは高い評価を受けている。しかしながら注意しなければならないのは、IWCに提出された論文のすべてが印刷されて公表されている訳ではない点である。科学委員会は学会ではなくIWCの下部組織であり、提出された論文をもとに議論し、その結果を総会で報告及び勧告をする任務を負っている。従って提出論文の中には研究途中のものもあり、たとえ内容が優れたものでも著者がIWCの印刷物として公表する事を保留する場合もある。ただ外部の人間が未公表の論文を絶対読めないという訳でもなく、IWCの年次報告(通称ジャイアント)の科学委員会報告には、その内容と議論が記載される他、例えば日鯨研に来ればその年の提出論文はすべて閲覧する事が出来る。ただし論文によっては著者が引用を断っている場合があるので、その点は注意が必要だ。 疑似商業捕鯨と言われるが 鯨類捕獲調査に対する批判の中で最もよく聞くのが、調査は疑似商業捕鯨であるとの話だ。その理由はいくつかあるが、調査目的そのものが商業捕鯨の再開である、捕鯨船団と捕鯨技術の維持を目的にしている、鯨肉の販売と流通を行っている、などがあげられよう。本当に科学的調査が目的であれば鯨を殺さずとも出来るはずだと言うわけだ。誤解を恐れずにあえて言うならば、これらの点はある面ですべて事実である。しかしまたそれが捕獲調査の科学的成果とは直接関係がないのも事実で、疑似商業捕鯨との批判ははなはだ心外である。 行きたい人は? 最近の特徴として、臨時職員として採用される調査員が単なるアルバイトではなく、自分の専門分野の研究を兼ねて乗船を希望する例が増えてきた。鯨の人工受精や食性の研究など内容は様々だが、船上では基本的に「個人の研究は全体の仕事を済ませた上で行う」という方針があり、自分の研究テーマを持つ人間は人一倍の努力が要求される。これを日本的”根性”精神による研究の弊害と考えることもできるが、長期航海と厳しい仕事が続く捕獲調査では常に人手が足りず、かつ乗船できる人数には限りがあり、皆が「お客様」(客員研究員・重要な研究目的のため認められることがある)にはなれないのが現状だ。一度は参加してみたいと思う人は多いが、何ヵ月も仕事や学業を中断して調査に参加するには相当な現実的問題が伴い、実現が困難なようだ。長々と述べたように乗船中の苦労も多い。それでも行きたい人は、狭き門ではあるが挑戦してみることをお勧めする。特に資格も申込規則も決まっていないが、自薦文、あるいは他薦文などを履歴書に添えて、(財)日本鯨類研究所理事長宛に送る事が挑戦の始まりとなる。研究目的があるのならば、研究計画書も必要となろう。忍耐と、体力と、明るい性格と、何よりも鯨に対する興味と、できれば若干の専門知識を持つ人を鯨類捕獲調査は求めている。 |


学芸員 箕輪 一博 |

柏崎の市街地より西へ直線で1km、そこには松林で覆われた広い赤坂や山公園があります。この公園は動植物の宝庫として、また、市民の憩いの場所として親しまれています。 柏崎市立は博物館は、この公園の高台にあって、周辺の緑との調和を大切に、1986年に開館したプラネタリウムも有する総合博物館です。地上に二階、地下一階、延べ4127平方メートルで、コンクリート建築にはとかく箱型が多いのですが、アクセントとなる大きな三角屋根を架けています(写真−1)。 博物館の展示基本方針の構成は自然科学、人文科学という学問分野にとらわれず、各方面の情報を引き出せる複合的な効果を狙って構成されています。つまり展示方法としては知的教養を与えるだけでなく、娯楽性も積極的に取り入れています。また、展示の特徴として、「日本の中での柏崎」、「新潟県の中での柏崎」の視点で柏崎市を位置づけることにより、他の地域文化とも比較検討することのできる展示が基本となっています。 自然展示室は、ナウマンゾウを中心として柏崎の大地を地質の面から紹介しています。また、柏崎の動植物では雑木林の生き物・野鳥の楽園・川の生き物・海岸の生き物・海の生き物・虫の色々・猩々洞のコウモリなどを紹介しています。それから、自然の恵み(石油・天然ガス・水・風など)を紹介した大自然の力のコーナーがあります。 ところで、柏崎には鯨波という地名があり、鯨が波によって打ち上がったという由来があります。最も古い鯨の漂着記録は、文化11年(1814年)12月9日のもので古文書が残っています。36キロメートルに及ぶ柏崎海岸からは、博物館に鯨類の情報も入ります。私が持っている鯨の肋骨(長さ315cm)は柏崎海岸に打ち上がったものです。当館にある9メートルのミンククジラと比較していただけばお分かりのように、かなり大型の鯨が日本海に生息していた事が分かります(写真−2)。最近の大型鯨の頭骨(最大幅115センチ)や椎骨(直径36センチ、長さ25センチ)についても情報がありました。 |

地域住民を啓蒙啓発し、地方博物館の役割を果たしたいと考えております。つまり、資料が集積され、単に収蔵しておくに留めず、展示して一層の理解を深めさせ、さらに情報を集める努力も行っております。その一環として、本間義治先生にご協力を仰ぎ、1994年の夏に海獣館・海産爬虫類・魚類・軟体動物を中心とした特別展と講演会を開催しました。 交 通・・・JR柏崎駅から徒歩20分 |

青森県立郷土館 福田知之 | |
| 野生のイルカは、確か昭和34年、小学校六年生の修学旅行で北海道の函館に行った時、函館港内で連絡船から見たのがはじめてです。函館港内では、その後二、三度見ましたが最近はまったく見ていません。 ところが、平成7年5月3日の午後、山形県酒田港から沖合36kmに浮かぶ飛島に渡る途中、午後1時45分頃、船内が急に騒がしくなったので甲板に出て見ると種類はわかりませんでしたがイルカの大群が泳いでいるのが見えました。定員300人の連絡船「ニューとびしま」を先導するかのように、元気よくブリーチングしながら泳いでいるのを興奮して見ていました。 翌日、酒田港にもどる時、「もう一度イルカの大群を」と期待していましたが、イルカはついに姿を現しませんでいた。今度は野生の鯨を是非見たいものです。 |


| 鯨のいる風景 |
| 門前のナガスクジラ |
| 国本 昭二 |

| 能登門前の千代海岸にナガスクジラが漂着した。1996年12月21日、すでに死亡していた。翌22日朝、波打ち際からブルトーザーで砂浜へ引き上げられた。国立科学博物館の山田格さんのワゴン車で現地に到着したのは、それから少し時間をおいてからだった。 歳の暮れも近い好天の日曜日、ボクははじめてナマのナガスクジラを見た。畝を攀じて小山のような頭まで登る、上るのではない、まさに登るのだ。こんな生き物が日本海を遊泳していると思うと、日本海までが神秘的に思えてきた。体長15メートル、重さ20トン、頭骨だけで4メートルはある。こんな大きな奴はとても陸には住めなかったろうと感動さえ覚える。なんとかして、日本海初のナガスクジラの骨格標本が作りたい。 海の恵みか 近隣の人たちが鍋や包丁を持って集まっている。肉を切りとろうというのだ。こう書くと眉をひそめる人もいるだろうが、ボクはなにか微笑ましいものを感じた。 廃棄物と標本のちがい 門前町役場が、海岸に漂着したナガスクジラを処理する場合、標本としてではなく、廃棄物としてしか処理できない。費用は地元が半分県が半分負担するのだという。 二〇トンの鯨消える 翌朝、山田格さんから電話がかかってきた。 鯨の骨再漂着 その日から、いしかわ動物園の佐野修さんと、内灘の角田和嘉さんの奮闘がはじまった。 |

| 重油も漂着 佐野さんが休日を使って骨の回収にかかった。標本としての価値を説きながらの大変な仕事だった。重油漂着とも重なった。重油が漂着しなければ、骨も漂着しないとあきらめるしかなかった。 救世主現れる 2月14日の夜だった。角田さんから電話がかかってきた。 |

| <<委員会だより>> |
| 庶務委員会 第8回研究会と平成9年度総会のご報告 下記のとおり第8回研究会と総会を開催致しました。 |
| 記 日 時 |
| 1997年6月7日(土) 12:30〜13:00 受付 13:00〜13:15 あいさつ 13:15〜17:00 研究発表 17:00〜18:00 総会 18:30〜20:30 懇親会 6月8日(日) 09:00〜12:00 研究発表 |
| 場 所 |
| 研究発表・総会 三国観光ホテル,コンベンションホ−ル 〒913 福井県坂井郡三国町緑ケ丘 懇親会・宿泊 同上ホテル |
| (庶務幹事 佐野 修) |

◆あとがき◆
| 昨年の暮れ、能登半島の門前町にナガスクジラと前後して、重油が漂着しました。 本号は門前ナガスクジラの特集号のような形になりました。漂着時、丁度国立科学博物館の山田格さんが金沢に帰省中だったので、骨格標本作成についての町当局や、鯨を砂浜に埋める業者との連絡がうまくとれると思っていた矢先、鯨は荒波にさらわれて姿を消した骨が再漂着しはじめました。その骨格は現在全姿の四割くらいが、佐野さんたちの手で回収され、頭部の一部などは内灘砂丘に埋め、あとはいしかわ動物園に保管されています。 日本海沿岸に漂着した記事を本紙でまんべんに掲載したいと思うのですが、編集室になかなか情報が入りません。できれば、その県の編集委員の方で、見聞き程度の漂着鯨の特集を組んでいただけたら幸いです。 石川創さんの「鯨類捕獲調査とはなにか」を上下2回に分けて掲載しました。これは、本紙は致死調査捕鯨に賛成か反対かという立場で掲載したものではなく、現場でしか聞けない生々しい情報の価値を掲載したものです。これに対する賛否の論をご寄稿いただければ幸いです。 |
| (s.k) |
| Programing Office より |
| 福井県三国町の総会は盛り上がったそうです。 私事ですが部下の結婚式と重なり、出席できませんでした。最近、外国からのアクセスが目立ちます。どなたかボランティアで英文にしてくれませんか。 |