クジラ情報紙・9号
1997年 5月 6日発行
発行所:日本海セトロジー研究グループ
〒920 金沢市東御影町288 いしかわ動物園内
TEL 0762-52-5234 FAX 0762-51-4240.発行人:児玉公道
編集所:セトケンニューズレター編集室
〒920 金沢市観音町3丁目23
TEL 0762-51-0285 FAX 0762-52-0034.編集人:国本昭二


目 次
● 南氷洋のシロナガスクジラ          山田致知
● パックアイスの中を泳ぐ           山田繁子
● ナガスクジラ門前海岸に漂着 骨格収集奮闘記 佐野 修
● 鯨類捕獲調査とはなにか(下)        石川 創
● 米山をとりまく自然と文化          箕輪一博
● 酒田港沖で出会ったイルカの大群       福田知之
● 門前のナガスクジラ             国本昭二
● 委員会だより                佐野 修
● ◆あとがき◆                国本昭二



山田致知のクジラ-5
南氷洋のシロナガス鯨



パックアイスの中を泳ぐ


山田繁子


 鯨の写真をここにご紹介することを始めてから既に丸二年が過ぎた。主人が定年退職した年の春、能登にメソプロドンが出現したことは主人に大いに力を与えてくれた。そして鯨に逢うために世界中を走り回る旅は1989年のバハに始まり1994年のハワイで終わった。一つの旅が済めば休む間もなく次の旅のプランを立てて準備に入る数年間であったが後期は主人の体調が芳しくなく最後のハワイは全コース車椅子の旅となった。そのため機敏な動作を要する鯨の写真取りは残念ながら困難になって行った様である。という次第で行った先々での作品を一枚ずつお目にかけるのがやっとであった。そしていよいよ今回で終わらせて頂きたいと思い、主人と家族全員が最も気に入っているものをお目にかけて締めくくりたいと思う。40年前の南氷洋の三月の海、勢いよく潮を吹き上げつつ美しいパックアイスをかき分けて泳いで行くシロナガスクジラの後ろ姿である。これを見て頂くことは主人にとってもきっと嬉しいことであると確信する。
 長い間のご愛読ありがとうございました。楽しんで書かせて頂きました。セト研の今後のご発展と皆様のご活躍をお祈りしてペンを置きます。




ナガスクジラ門前海岸に漂着
骨格収集奮闘記

いしかわ動物園  
佐野 修


漂着したナガスクジラ(門前町役場提供)


 昨年12月21日に石川県の門前町黒島に体長15メートルのナガスクジラが漂着した。ナガスクジラといえば南氷洋のイメージが強いが、北半球にも広く分布している。日本沿岸からも8件の漂着記録がある。うち5件が日本海からである。しかし、きちんとした生物学的記録が残っている例は少ない。全身骨格標本となると大阪市立自然史博物館に一体あるに過ぎない。
 漂着の報を聞き、たまたま金沢に帰省していた国立科学博物館の山田格さんが国本昭二さんと共に現地にとんだ。町役場に対し、日本で二番目、日本海では初めての全身骨格標本を作製すべく、遺体をいったん近くの砂浜に埋めるよう要望した。この時、やはり現場に駆けつけた黒島育ちで今は金沢市の隣の内灘町に住む角田和嘉さんが二人をサポートしてくれた。以後も強力な仲間として活躍願うことになった。
 ここまでの私は高見見物で、スムースに運ぶ事態に何の不安もなく、県議会で設置が採択されたばかりの石川県自然史博物館(仮称)に日本海唯一となるすばらしい展示品を納めることができるとほくそえんでいた。しかし、その翌日、遺体は波に流され、海中に消えてしまったのである。そして、私の門前町通いが始まった。少しづつ打ち上がる骨の回収である。以下、経過を報告する。


頭骨基部


骨格回収活動始動

12月26日
 町役場より、骨が打ち上がったとの報を受け、国本さんと共に、7個の脊椎骨を浜辺から拾い集める。他に地元の方が拾った2個も譲り受ける。また、漂着時に山田さんが切りとり、流されないようロープで結んであった右手羽を波の来ない高台の砂地へ運び、埋める。町役場を訪れ、助役さんと総務課の方々に重要性を訴え、今後の協力をお願いした。
12月31日
 冬としてはめずらしい晴天で海はなぎ、一人で浜歩きするも収穫はなし。
1月4日
 毎朝、浜歩きするのが習慣という南栄作さんが脊椎骨を2個回収、角田さんが金沢へ持ち帰る。
1月15日
 南さんが脊椎骨3個と骨端2個を回収、また角田さんが金沢へ運ぶ。


上顎回収作業


骨を求めてまちを行く

1月28日
 角田さんより、頭骨らしきものが回収されたとの報を聞き、確認に出向く。4メートル近い右下顎と重い頭骨基部が宮下達雄さんの自宅前に置かれていた。胸まで海に浸かり、拾い上げたという。右下顎は近くの中村洋一さん宅に置かれていた。他に、頭骨の一部が海岸の道路脇のテトラポット群の間に打ち上げられていたが、波が高く、近寄れず。
2月1日
 角田さんに同行願い、宮下さんと中村さんに会い、将来は自然史博物館に寄贈したいので、骨格は離散させたくない、それまでは我々が保管したいと申し出る。お二人とも快く受け入れて下さる。テトラポットの頭骨に近づけたが、表皮が付いたままの状態でテトラにきつく挟まれていた。また、あのいまわしい重油がここにも押し寄せ、塊や粒がテトラや頭骨に飛び散っていた。重油で滑り、足元がおぼつかない。少人数では手に負えず、後日、応援を仰ぐことにした。
2月10日
 経験豊富なのとじま水族館の斉藤豊さん、若くて全身バネの越前松島水族館の岡田敏さん、愛らしくて逞しい(失礼!)いしかわ動物園の池尻明子さんという願ってもない仲間と国本さん、そして私の5人で作業を始めるが、頭皮は厚い上に油分が多く、なかなか骨から切り放せない。また、頭皮の先端がテトラに絡まっており、頭骨を抜き上げることが出来ない。焦り出した頃に所用を終えた南さんがチェーンブロックを携え、駆けつけて下さる。チェーンブロックでつり上げながら口先へ向かって表皮を剥いでいき、ようやく骨を抜き上げた。太陽は沈みかけていた。ビールで乾杯しようという南さんに、一同「オー」。休憩も忘れ、重労働で喉はカラカラ、油まみれの互いの姿に大笑いの中、また一緒に苦労しようと再会を約した。回収した頭骨は、宮下さんの基部に連なる3メートルを超える上顎骨と間顎骨であったが上顎の左側を欠く。砂浜で骨端2個を拾う。


重油まみれで取り出した間顎骨


2月15日
 午後3時、これまでに集めた骨を運んでくる角田さん、国本さん達の帰りを内灘町で待った。上顎骨を除いてこれまでに打ち上がった骨に肉はない。ヨコエビなどが群がり食べるのであろう。しかし、骨の中には油分や有機物がしみこんでおり、早く砂に埋め、土中のバクテリアに分解させないと後生に残せる標本とはならない。埋める場所や運ぶトラックほか重機を提供して下さる方を探したが、なかなか見つからない。ここでも角田さんが活躍。前夜、近所の友人に相談した所、造園業を営む丸銭肇さんがクレーン付きのトラックで運び、川島法夫さんが埋め場所を提供下さることになった。また、善は急げと翌日の決行となった。
 埋め場所の内灘砂丘地では、丸銭造園土木の若いスタッフ二人と川島さんも加わり、クレーンとユンボーを駆使し、作業は能率良く進められた。一方で骨を傷付けないよう、太い布ベルトで上げ下ろしするなど、丸銭さんの造園技師らしい気配り配慮に感心した。薄い上顎骨も手で丁重に埋めて下さった。私の出る幕はなく、逆にクレーンの前をうろつき、危ない、邪魔だと叱られるしまつ。いかつい丸銭さんと川島さんではあるが、突然現れた天使以外何物でもなかった。この日、肋骨二本も南さんから託されていた。これで全身の4割くらいは集まったであろうか。


内灘町砂丘に埋める


力をかして下さい

 海辺の生物を扱う私は、重油の早期除去を訴えている。しかし、このナガスクジラの回収も急ぐ。油などの有機物を含む新鮮なクジラの骨は種々の底性動物が群がり食べると考えられている。早く回収する必要がある。黒島の皆さん、どうか力をかして下さい。海辺で骨を見つけたら南さんに届けて下さい。全身の骨格を揃え、将来、石川県がつくる自然史博物館に展示したいと考えています。私たちの身近に大きなナガスクジラが生活している。石川県ではこんなことすらあまり知られていないのです。
 ここに登場いただいた方々と「ナガスクジラ保存会」(仮称)を結成し、これからも骨の回収を行っていく。春にはダイバー仲間を集め、南さん、宮下さん達と一緒に潜水回収を計画している。全身の回収を目指す私たちの夢はかなうでしょうか。いや、天国で見守っている山田致知先生がかなえて下さる。そう、信じている。








鯨類捕獲調査とは何か(下)

(財)日本鯨類研究所鯨類生物研究室
石川 創


骨の計測 船上で標本作成まで行う事もある


どんな成果をあげているのか?

 捕獲調査で得られた資料や研究結果はどうなっているのか?という質問を聞く事がある。条約に基づく科学調査の結果は、翌年のIWC科学委員会において報告が義務づけられている。毎年の捕獲調査の結果と予備的な解析はクルーズレポートとして科学委員会に提出される。また調査のデータや標本をもとに書かれた論文はこれまで100本近くにのぼり、その多くは科学委員会に提出されている。その中でも特に南極海における性や年齢による棲み分けの研究やミトコンドリアDNAの分析による系統群の研究、ドワーフミンククジラの遺伝学的な研究などは高い評価を受けている。しかしながら注意しなければならないのは、IWCに提出された論文のすべてが印刷されて公表されている訳ではない点である。科学委員会は学会ではなくIWCの下部組織であり、提出された論文をもとに議論し、その結果を総会で報告及び勧告をする任務を負っている。従って提出論文の中には研究途中のものもあり、たとえ内容が優れたものでも著者がIWCの印刷物として公表する事を保留する場合もある。ただ外部の人間が未公表の論文を絶対読めないという訳でもなく、IWCの年次報告(通称ジャイアント)の科学委員会報告には、その内容と議論が記載される他、例えば日鯨研に来ればその年の提出論文はすべて閲覧する事が出来る。ただし論文によっては著者が引用を断っている場合があるので、その点は注意が必要だ。
 では毎年採集される膨大な資料と標本はすべて分析が完全に行われているのか?これもよく聞く質問である。年齢、性成熟、DNA、食性、汚染など優先順位の高い研究に関わる標本や外部から依頼された標本は、それぞれの専門家の手によって着実に分析されている。しかし個体毎の基本的な計測項目や採集品目は必ずしも直接研究対象とはなりにくいし、また当面の研究成果が上がった後も将来の比較のために計測や採集を継続している項目もある。これら分析されずに蓄積されていく資料は、基本的には将来新たな研究対象ができたり、他の研究者からの要望に応じて活用されていくものである。来春IWCはこれまでの捕獲調査の成果を総括するレビュー会議を開く事に合意し、この際に蓄積されたデータリストや標本リストも一括して公開される予定だ。これらのデータや標本の利用については、IWCにすでに公表されている以外のものについては日鯨研への正式な申込が必要で、その目的などに応じて審査されることになるだろう。個人的には、これらの膨大な資料はIWC以外の場でももっと積極的に公開して活用するべきと思うが、こと鯨に関するあれこれは政治的目的に利用されないとも限らず、なかなか困難なようだ。

疑似商業捕鯨と言われるが

 鯨類捕獲調査に対する批判の中で最もよく聞くのが、調査は疑似商業捕鯨であるとの話だ。その理由はいくつかあるが、調査目的そのものが商業捕鯨の再開である、捕鯨船団と捕鯨技術の維持を目的にしている、鯨肉の販売と流通を行っている、などがあげられよう。本当に科学的調査が目的であれば鯨を殺さずとも出来るはずだと言うわけだ。誤解を恐れずにあえて言うならば、これらの点はある面ですべて事実である。しかしまたそれが捕獲調査の科学的成果とは直接関係がないのも事実で、疑似商業捕鯨との批判ははなはだ心外である。
 日本の鯨類捕獲調査は、科学的根拠なしに多数決で決定された商業捕鯨モラトリアムを終結させるために、科学的な証拠を集める事を目的にしている。IWCはモラトリアムを定めたときに、科学的助言の下にこれを見直す事を宣言している。現在のIWCを、(従来そうであったように)商業捕鯨を適切に管理するための国際組織と見るか、鯨を保護する事で海洋資源と環境を守ろうとする組織と見るかは政治的な問題だが、少なくとも日本国政府は前者と考えている。この点で言えば国の立案した事業である捕獲調査が単に学術的興味を満足させるだけの目的でない事は、まったく正当であろう。限られた時間内に必要なデータを収集するためには致死調査が最も効率よく、しかも致死調査のためには前述のごとく捕鯨船団と捕鯨技術が不可欠だ。鯨肉の販売については、国際捕鯨取締条約で科学調査で生じる副産物の利用を義務づけられている。そもそも莫大な調査費用の大半は鯨肉の販売でまかなわれている。残りは国の補助金と法人への寄付金であるが、販売による資金がなければ長期間にわたるこのような大規模な調査は不可能だ。非致死的な調査ができない理由のひとつもここにある。鯨類を含む野生鳥獣の調査において、法的な規制もあり多くの国で非致死的調査が求められていることは事実だが、氷と低気圧に囲まれた南極海で捕獲調査に匹敵するデータを非致死的調査で得ようとすれば、途方もない年月と費用がかかることは確かだ。致死的調査と非致死的調査は、その目的と合理性によって使い分けるべきである、と自分は考えている。
 商業捕鯨そのものの是非についてはまったく別の問題であり、あえてここでは触れていない。今やこれは科学というよりむしろ倫理的な問題であり、捕鯨を非と考える人がいれば、世論を形成して国の政策を変更するように働きかけるべきである。捕獲調査はその事業が目指す目標こそ商業捕鯨であるが、調査内容と成果は科学の分野であり、捕鯨反対ゆえに調査結果まで否定してしまうのは見当違いだ。調査に関わる日鯨研の研究者の多くは、商業捕鯨の再開については実際のところ大した関心がない。彼らの最大の関心時は調査の成果がいかに科学委員会を始めとする科学者達に評価されるかであり、そのために人為的な偏りのない調査結果を出す事に全力を傾けている。一緒に仕事をしている共同船舶の人達もまた、調査に対して真摯である。プロの捕鯨者であった彼らは、いい加減な調査を行えば、結果として捕獲調査の科学的な信頼性をなくし、調査のみならず商業捕鯨の再開も有り得ないことを最もよく理解している。従って疑似商業捕鯨という批判は、調査に対する批判として的外れというだけでなく、現場で働く人達に対する侮辱と言えよう。
 南極海の捕獲調査では、毎年のように環境保護団体がはるばるやって来ては妨害活動を繰り返し、その映像を活動資金集めの宣伝に用いている。彼らの捕鯨反対の主張には聞くべき部分もあるし、厳しい気候の南極海にゴムボートで繰り出す活動家たちの努力には、同じ場所で仕事をする者として敬意すら感じる(写真3)が、その行動は彼らの主張と隔たりがあると言わざるを得ない。彼らの行動は、我々の目指す科学的に偏りのない調査の精度に干渉する事はあっても、その年の調査や捕鯨そのものを中止させる事にはまったく効果がない。莫大な金をかけて南極に繰り出し、鯨を守ったと宣伝する余裕があるのならば、その金と労力を使って商業捕鯨を無くすために日本の世論と政治に訴える地道な行動を起こすべきであろう。
 獣医として捕鯨を個人的にどう思うかと問われれば、大型動物を殺傷する点に感情的な抵抗は否定できない。しかしそれはたとえ獣医の職場である屠畜場においても、同じ感情を持つことは間違いない。食用のための殺生を好まない感情に従う事は一見簡単であるが、突き詰めれば魚を含む肉食を否定する事はおろか、田畑を作るために森林を切り開く事すら否定せざるを得なくなるだろう。ヒトは生き物を殺さなければ生きては行けない。感情と合理性はどこかで折り合いをつけなければならないのである。

行きたい人は?

 最近の特徴として、臨時職員として採用される調査員が単なるアルバイトではなく、自分の専門分野の研究を兼ねて乗船を希望する例が増えてきた。鯨の人工受精や食性の研究など内容は様々だが、船上では基本的に「個人の研究は全体の仕事を済ませた上で行う」という方針があり、自分の研究テーマを持つ人間は人一倍の努力が要求される。これを日本的”根性”精神による研究の弊害と考えることもできるが、長期航海と厳しい仕事が続く捕獲調査では常に人手が足りず、かつ乗船できる人数には限りがあり、皆が「お客様」(客員研究員・重要な研究目的のため認められることがある)にはなれないのが現状だ。一度は参加してみたいと思う人は多いが、何ヵ月も仕事や学業を中断して調査に参加するには相当な現実的問題が伴い、実現が困難なようだ。長々と述べたように乗船中の苦労も多い。それでも行きたい人は、狭き門ではあるが挑戦してみることをお勧めする。特に資格も申込規則も決まっていないが、自薦文、あるいは他薦文などを履歴書に添えて、(財)日本鯨類研究所理事長宛に送る事が挑戦の始まりとなる。研究目的があるのならば、研究計画書も必要となろう。忍耐と、体力と、明るい性格と、何よりも鯨に対する興味と、できれば若干の専門知識を持つ人を鯨類捕獲調査は求めている。


母船と標本採集船に割り込むグリーンピースに放水で警告をする。どちらも楽な仕事ではない。



柏崎市立博物館             
 米山をとりまく自然と文化


学芸員 箕輪 一博


写真1:柏崎市立博物館全景


 柏崎の市街地より西へ直線で1km、そこには松林で覆われた広い赤坂や山公園があります。この公園は動植物の宝庫として、また、市民の憩いの場所として親しまれています。
 柏崎市立は博物館は、この公園の高台にあって、周辺の緑との調和を大切に、1986年に開館したプラネタリウムも有する総合博物館です。地上に二階、地下一階、延べ4127平方メートルで、コンクリート建築にはとかく箱型が多いのですが、アクセントとなる大きな三角屋根を架けています(写真−1)。
 博物館の展示基本方針の構成は自然科学、人文科学という学問分野にとらわれず、各方面の情報を引き出せる複合的な効果を狙って構成されています。つまり展示方法としては知的教養を与えるだけでなく、娯楽性も積極的に取り入れています。また、展示の特徴として、「日本の中での柏崎」、「新潟県の中での柏崎」の視点で柏崎市を位置づけることにより、他の地域文化とも比較検討することのできる展示が基本となっています。
 自然展示室は、ナウマンゾウを中心として柏崎の大地を地質の面から紹介しています。また、柏崎の動植物では雑木林の生き物・野鳥の楽園・川の生き物・海岸の生き物・海の生き物・虫の色々・猩々洞のコウモリなどを紹介しています。それから、自然の恵み(石油・天然ガス・水・風など)を紹介した大自然の力のコーナーがあります。
 ところで、柏崎には鯨波という地名があり、鯨が波によって打ち上がったという由来があります。最も古い鯨の漂着記録は、文化11年(1814年)12月9日のもので古文書が残っています。36キロメートルに及ぶ柏崎海岸からは、博物館に鯨類の情報も入ります。私が持っている鯨の肋骨(長さ315cm)は柏崎海岸に打ち上がったものです。当館にある9メートルのミンククジラと比較していただけばお分かりのように、かなり大型の鯨が日本海に生息していた事が分かります(写真−2)。最近の大型鯨の頭骨(最大幅115センチ)や椎骨(直径36センチ、長さ25センチ)についても情報がありました。


写真2:日本海に大型鯨が生息していたことがわかる。


地域住民を啓蒙啓発し、地方博物館の役割を果たしたいと考えております。つまり、資料が集積され、単に収蔵しておくに留めず、展示して一層の理解を深めさせ、さらに情報を集める努力も行っております。その一環として、本間義治先生にご協力を仰ぎ、1994年の夏に海獣館・海産爬虫類・魚類・軟体動物を中心とした特別展と講演会を開催しました。

交 通・・・JR柏崎駅から徒歩20分
入館料・・・大人210円・小人100円・団体割引あり
休館日・・・月曜日・1月第4週7日間・12月29日〜1月3日
お問い合わせ・・・柏崎市緑町8−35
         電話 0257−22−0567



<寄稿>                     
酒田港沖で出会ったイルカの大群

青森県立郷土館 福田知之

野生のイルカは、確か昭和34年、小学校六年生の修学旅行で北海道の函館に行った時、函館港内で連絡船から見たのがはじめてです。函館港内では、その後二、三度見ましたが最近はまったく見ていません。
ところが、平成7年5月3日の午後、山形県酒田港から沖合36kmに浮かぶ飛島に渡る途中、午後1時45分頃、船内が急に騒がしくなったので甲板に出て見ると種類はわかりませんでしたがイルカの大群が泳いでいるのが見えました。定員300人の連絡船「ニューとびしま」を先導するかのように、元気よくブリーチングしながら泳いでいるのを興奮して見ていました。
翌日、酒田港にもどる時、「もう一度イルカの大群を」と期待していましたが、イルカはついに姿を現しませんでいた。今度は野生の鯨を是非見たいものです。


大群が遠ざかり気味の時の写真で、あまり迫力がないのが残念です。



  鯨のいる風景
門前のナガスクジラ

国本 昭二


近隣の人に、腹部の肉を切り取られたナガスクジラ

 能登門前の千代海岸にナガスクジラが漂着した。1996年12月21日、すでに死亡していた。翌22日朝、波打ち際からブルトーザーで砂浜へ引き上げられた。国立科学博物館の山田格さんのワゴン車で現地に到着したのは、それから少し時間をおいてからだった。
歳の暮れも近い好天の日曜日、ボクははじめてナマのナガスクジラを見た。畝を攀じて小山のような頭まで登る、上るのではない、まさに登るのだ。こんな生き物が日本海を遊泳していると思うと、日本海までが神秘的に思えてきた。体長15メートル、重さ20トン、頭骨だけで4メートルはある。こんな大きな奴はとても陸には住めなかったろうと感動さえ覚える。なんとかして、日本海初のナガスクジラの骨格標本が作りたい。

海の恵みか

近隣の人たちが鍋や包丁を持って集まっている。肉を切りとろうというのだ。こう書くと眉をひそめる人もいるだろうが、ボクはなにか微笑ましいものを感じた。
春の山を歩いて、ワラビやフキノトウなどを見つけた時、あなたは自然の恵みを感じませんか。それを酢の物や味噌和えにして春の旬を味わえる。ひとかけらのクジラの肉を切りとる人たちも、海の恵みに浴しているのだと思った。それほど鯨が大きく見えた。
チェンソーを持った人が現れた。これには驚いた。チェンソーで鯨の肉は切れないはずだ。能登関野鼻の海岸にメソプロドンが漂着したとき、肉の着いたままの頭をチェンソーで切り離そうとして繊維が巻き付いてチェンソーを一台ダメにしたという。
山田格さんは、チェンソーを使わないように熱心に説得しているが効目が無い。せっかくの標本の骨が損傷する。
用意していったセトケンニューズレターを取り出して、ボクたちの仕事の内容を説明して「この新聞を読んでください」と言たが「読みたくない」とそっけなく断わられた。ボクは遠くから彼をマークしながら、チェンソーを使いそうになるとビデオカメラを回し出した。これは、ぼくたちの新聞より効果があった。
彼はついにチェンソーは使わなかったようだ。鯨の繊維が巻き付いてチェンソが使えなくなったのだとも聞いた。
ナガスクジラを見学に来ている人の中にはセトケンニューズレターに興味を示してくれる人もいた。その一人は内灘に住む、門前出身の角田和嘉さんだ。角田さんは門前役場や、ナガスクジラを埋める仕事を請け合う土木業者とのアクセスのとりかたをボクたちに懇切丁寧に教えてくださった。

廃棄物と標本のちがい

門前町役場が、海岸に漂着したナガスクジラを処理する場合、標本としてではなく、廃棄物としてしか処理できない。費用は地元が半分県が半分負担するのだという。
15メートル、20トンの鯨を標本として処理するには、解体という大変な人手と技術、それにかなりの費用がかかる。ボクたちの日本セトロジー研究会には手の出しようのない大事業だ。4メートル、2トン足らずのメソプロドンのようなわけにはゆかない。ただ、ただ門前町役場と、埋める業者にお願いして、紛失しやすい手羽や背ビレ、尾羽、頚骨などを、確かな場所へ確かに埋めてもらうこと。頭骨や顎骨が損傷しないように、深くもなく浅くもない深さに埋めてもらうしかない。そのために費用が掛るのならカンパでもしようと覚悟を決めた。
クジラが漂着したすぐ上にあるレストラン千鳥で山田さんと角田さんが方々へ電話を掛けはじめた。ボクはその姿を眺めながら、熱いコーヒーを二杯飲んだ。

二〇トンの鯨消える

翌朝、山田格さんから電話がかかってきた。
「ナガスがいなくなりましたよ」
「どうして!」とボクは絶句してしまった。
「昨夜の時化で波にさらわれたよ うですよ」
「20トンもあるものが、どうして!」
「波に乗って、漂着したのだから、波にさらわれていなくなっても不思議じゃありません」
そう言われればそうだ。
「もう、なんにもすることがなくなった」
山田格さんの声が受話器の奥から聞こえてきた。日本海に遊泳するナガスクジラや、海岸に漂着したナガスクジラの記録はあるが、骨格標本は日本海側には、一体もないはずだ。ボクのような鯨の野次馬の失望とは違って、鯨学のプロである山田格さんの失望は桁違に大きいだろう。

鯨の骨再漂着

その日から、いしかわ動物園の佐野修さんと、内灘の角田和嘉さんの奮闘がはじまった。
波にさらわれた、ナガスクジラの骨が、バラバラになって、海岸に再漂着しはじめたのだ。その漂着情報が角田さんから電話で刻々と入ってくる。
“浜千鳥の下の浜に背骨らしいものが3個漂着”
“黒島バス亭下の浜に頭骨の一部らしいものが漂着”
“町のだれそれが、どんな骨を何個海岸で拾って持っている。譲 り受ける話しはついている”
“南栄作さんという強力な協力者がいて、漂着した骨のいくつかを、庭に保管していただいている”


70センチもある腰椎から、ナガスクジラの大きさを想像して下さい。

重油も漂着

佐野さんが休日を使って骨の回収にかかった。標本としての価値を説きながらの大変な仕事だった。重油漂着とも重なった。重油が漂着しなければ、骨も漂着しないとあきらめるしかなかった。
黒島のバス停下のテトラポットの間に漂着した頭骨の一部の回収には人手がいる。佐野修さん同じ、いしかわ動物園の池尻明子さん、のとじま水族館の齋籐豊さん、越前松島水族館の岡田敏さんたちの頭骨引き上げチームにボクも同行したが、背丈を遙かに越すテトラポットの上を恐くて渡り歩けなくて、骨にさえ近寄れなかったが、重油だけは一人前に衣服に付着した。
油分の厚い頭皮から骨を離して、地元の南栄作さんのチェンブロックを使って、南さんの指導でバス停のすぐ下まで引き揚げたところで日が暮れた。ボクのできた仕事は、佐野さんと乾杯の缶ビールを買い出しに行っただけだった。
この骨をどうして車の通る道まで引き揚げるか。それをどこへ埋めるか。冬場だ、早急にやらないとまた波にさらわれてしまう。

救世主現れる

2月14日の夜だった。角田さんから電話がかかってきた。
「明日なら、丸銭肇さんという内灘の造園業の方がクレーン付きのトラックをボランティアで出してくださる。埋める場所は丸銭さんの友人の川島法夫さんの内灘の砂山」。
 この期を逃しては千載に悔いを残す。ボクは、佐野さんに電話を入れた。忙しい彼の明日のスケジュールはびっしり詰まっていた。片道二時間はかかる金沢・門前間を往復して、現地で骨を回収する時間はない。そこで角田さんとボクが丸銭さんのトラックに同乗して現地へ行き、まず4メートル近い頭骨を回収して、あとは角田さんの案内で南さん、宮下さん、中村さんの家にある顎骨などをいただいて、一路内灘へ帰る。そこで佐野さんと合流し、埋める現場を佐野さんに立ち会ってもらう。夜になってもいい、大切な骨を鯨の素人だけで埋めるのは心もとない。
こんな予定を立ておえたのは、夜の11時を過ぎていた。
翌、2月15日、この日も晴天だった。丸銭さんと角田さんのお陰で、回収、埋蔵と予定通り仕事を終え、丸銭さんの仕事場でみんなで日本酒を飲んだ。肴に出たカワハギの糠漬けと、ギンギンボの干物の味が忘れられない。
骨の掘り出しは一年半後になるだろう。ナガスクジラよ、潮騒の聞こえる内灘砂丘で安らかに眠れ。



<<委員会だより>>

庶務委員会

第8回研究会と平成9年度総会のご報告

下記のとおり第8回研究会と総会を開催致しました。
イクスカ−ションは「ナホトカ号重油事故」関連の見学を行いました。

日 時

1997年6月7日(土) 12:30〜13:00 受付
             13:00〜13:15 あいさつ
             13:15〜17:00 研究発表
             17:00〜18:00 総会
             18:30〜20:30 懇親会

     6月8日(日) 09:00〜12:00 研究発表
                    (発表が多い場合)
                    イクスカ−ション

場 所

       研究発表・総会
       三国観光ホテル,コンベンションホ−ル
       〒913 福井県坂井郡三国町緑ケ丘
           懇親会・宿泊 同上ホテル

(庶務幹事 佐野 修)





◆あとがき◆

 昨年の暮れ、能登半島の門前町にナガスクジラと前後して、重油が漂着しました。

 本号は門前ナガスクジラの特集号のような形になりました。漂着時、丁度国立科学博物館の山田格さんが金沢に帰省中だったので、骨格標本作成についての町当局や、鯨を砂浜に埋める業者との連絡がうまくとれると思っていた矢先、鯨は荒波にさらわれて姿を消した骨が再漂着しはじめました。その骨格は現在全姿の四割くらいが、佐野さんたちの手で回収され、頭部の一部などは内灘砂丘に埋め、あとはいしかわ動物園に保管されています。

 日本海沿岸に漂着した記事を本紙でまんべんに掲載したいと思うのですが、編集室になかなか情報が入りません。できれば、その県の編集委員の方で、見聞き程度の漂着鯨の特集を組んでいただけたら幸いです。

 石川創さんの「鯨類捕獲調査とはなにか」を上下2回に分けて掲載しました。これは、本紙は致死調査捕鯨に賛成か反対かという立場で掲載したものではなく、現場でしか聞けない生々しい情報の価値を掲載したものです。これに対する賛否の論をご寄稿いただければ幸いです。

(s.k)


Programing Office より
福井県三国町の総会は盛り上がったそうです。
  私事ですが部下の結婚式と重なり、出席できませんでした。最近、外国からのアクセスが目立ちます。どなたかボランティアで英文にしてくれませんか。

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